2010年03月26日
ひげの西山敏夫さん
ひげの西山さん、長年ありがとう。
自然の恵みを伝えるわかめ・昆布の養殖に終止符。
湘南地域の小さな町二宮の五つ浦漁場の沖でわかめや昆布の養殖をしている西山敏夫さん(七十六歳)が、その養殖に今春で終止符を打ちます。「でかい波も怖くはないが、寄る年波には勝てない」と語る西山さん。昭和三十五年頃からブリ漁が不振になり、「取る漁業から育てる漁業」が提唱され始めた時代背景もあり、昭和四十年代に養殖を始めて五十年近くが経ちました。
この養殖は日本で一番荒々しい海で行われ、その潮の流れの激しさと燦々と輝く日の光を利用した独自なしかけも開発しました。この自然の恵みを子どもたちに伝えるために、わかめの苗を晩秋に植え付け、春に収穫する「海の教室」を幼稚園生や保育園生そして小学生の数百人に十五年間続けてきました。
西山さんは、「子供たちと遊ばせてもらって元気をもらってきた」と語り、その幕を閉じることに一抹の寂しさも感じているようでした。子どもたちにごみを捨てると、それが海を汚してしまう自然の生態系や自然恩恵を「海の教室」で伝えてきた教育力は、計り知れないものだと思います。
子どもや私たちに美味しいわかめや昆布を通して、様々な自然の恩恵、環境、そして食が結びついていることを教えてくださって、本当に長年ありがとうございました。そしてこれからも二宮名物の人物として二宮の魅力を伝えてください。
自然の恵みを伝えるわかめ・昆布の養殖に終止符。
湘南地域の小さな町二宮の五つ浦漁場の沖でわかめや昆布の養殖をしている西山敏夫さん(七十六歳)が、その養殖に今春で終止符を打ちます。「でかい波も怖くはないが、寄る年波には勝てない」と語る西山さん。昭和三十五年頃からブリ漁が不振になり、「取る漁業から育てる漁業」が提唱され始めた時代背景もあり、昭和四十年代に養殖を始めて五十年近くが経ちました。
この養殖は日本で一番荒々しい海で行われ、その潮の流れの激しさと燦々と輝く日の光を利用した独自なしかけも開発しました。この自然の恵みを子どもたちに伝えるために、わかめの苗を晩秋に植え付け、春に収穫する「海の教室」を幼稚園生や保育園生そして小学生の数百人に十五年間続けてきました。
西山さんは、「子供たちと遊ばせてもらって元気をもらってきた」と語り、その幕を閉じることに一抹の寂しさも感じているようでした。子どもたちにごみを捨てると、それが海を汚してしまう自然の生態系や自然恩恵を「海の教室」で伝えてきた教育力は、計り知れないものだと思います。
子どもや私たちに美味しいわかめや昆布を通して、様々な自然の恩恵、環境、そして食が結びついていることを教えてくださって、本当に長年ありがとうございました。そしてこれからも二宮名物の人物として二宮の魅力を伝えてください。
Posted by tomo at 07:53│Comments(1)
│魅力伝え人
この記事へのコメント
西山さん
本当にお疲れ様 ご苦労様です
でも後継者がないのは非常に残念です
政治が政治をしていなく政局ばかりで自分のことで精一杯ではいたし方がないですかね
もういい加減にして欲しい 日本の文化を如何に守るか真剣に考えてもらいたいです
商売も大型店ばかりに集約されようとしています 日本文化の滅亡 時間の問題です
本当にお疲れ様 ご苦労様です
でも後継者がないのは非常に残念です
政治が政治をしていなく政局ばかりで自分のことで精一杯ではいたし方がないですかね
もういい加減にして欲しい 日本の文化を如何に守るか真剣に考えてもらいたいです
商売も大型店ばかりに集約されようとしています 日本文化の滅亡 時間の問題です
Posted by ロッパ at 2010年03月28日 18:22
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。