2010年06月29日
吾妻山古道を有志で再生
二宮町が吾妻村だった頃の地図を見ると道として掲載されていたのに、現在は竹に覆われて、その形跡はまったくなくなってしまっていました。でも、この道は曽我兄弟の姉の花月尼が弟たちのことを想って、知足寺から吾妻山の浅間神社まで通ったと言われる道でした。
この古道を再生したいと考えた観光ボランティアとしても活躍している人が、最初は一人で竹を刈り始めました。竹は生い茂り、一人で竹を一本一本切りながら、道を作って行く作業は大変労力がいりました。夏場は蚊に刺され大変だったそうです。そんななかで、仲間が一緒に竹を刈ってくれて、吾妻山の古道を再生しました。しかし、直ぐにまた竹や草が生い茂り、道として維持して行くには定期的な作業が必要となりました。
そんな労力をかけながら、再生された古道は、緑のトンネルで藤つるがからんで面白い造形を作ったりしています。また、竹を切ったことで野草も生えてきました。落ち葉が積もった道はふかふかで歩きやすく、魅力的な小道となっています。





この道を人々が歩いて踏み固め、道として固定化され、認知されると良いと思います。この物語性のある古道を町民の憩いや観光として活用し、物語性のあるまちづくりを進め、二宮の魅力向上につなげたいものです。
この古道を再生したいと考えた観光ボランティアとしても活躍している人が、最初は一人で竹を刈り始めました。竹は生い茂り、一人で竹を一本一本切りながら、道を作って行く作業は大変労力がいりました。夏場は蚊に刺され大変だったそうです。そんななかで、仲間が一緒に竹を刈ってくれて、吾妻山の古道を再生しました。しかし、直ぐにまた竹や草が生い茂り、道として維持して行くには定期的な作業が必要となりました。
そんな労力をかけながら、再生された古道は、緑のトンネルで藤つるがからんで面白い造形を作ったりしています。また、竹を切ったことで野草も生えてきました。落ち葉が積もった道はふかふかで歩きやすく、魅力的な小道となっています。
この道を人々が歩いて踏み固め、道として固定化され、認知されると良いと思います。この物語性のある古道を町民の憩いや観光として活用し、物語性のあるまちづくりを進め、二宮の魅力向上につなげたいものです。
Posted by tomo at 17:07│Comments(0)
│魅力伝え人
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